「夢」に関するメモ
2025年3月25日

 古文や漢文など、東洋の古典では、「夢」は、「現実離れした夢物語」「夢幻」という否定的な意味合いが七割、「未来の予兆」「現実離れしていても実現してほしい望ましいビジョン」という肯定的な意味合いが三割だった。
近代に入り、その比率が逆転した。

【近代以前】
漢字「夢」に、蔑視の「蔑」、薨去の「薨」と似ている理由。
古代漢語で「夢」(む・ぼう)と「望」(もう・ぼう)は似た言葉。
漢字の字源を調べると、はかないものをかすかに見るのが「夢」、はるか遠いものを背伸びして見るのが「望」。
「希望」(希は、あらい目の布、が原義)と「夢」は、もともと、重なる部分があった。

★子曰わく「甚だしきかな、吾が衰えたるや。久しきかな、吾、また夢に周公を見ざること」と。
子曰、甚矣、吾衰也、久矣、吾不復夢見周公也。
孔子の言葉。『論語』述而第七に載せる言葉。
若き日の孔子の理想は、周公の文物制度を復活させ天下に平和を取り戻すことだった。

 ★仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる。人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。
 後白河法皇が編んだ『梁塵秘抄』の今様のひとつ。
 神仏はいつも私たちのすぐ近くにいらっしゃるが、人間は夢の中だけでかすかにそのお姿を見ることができる、という意。

★旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
松尾芭蕉の最晩年の俳句。病床の昏睡状態で旅に出る夢を見る、と同時に、死ぬ前にもう一度旅に出るのが芭蕉の「夢」(未来の希望や理想)だった。


【幕末】江戸時代の末から「未来に対する希望や理想」としての夢を語るようになった。

明るい未来に対する理想や希望は、裏返して言うと、現在の社会や政治に対する批判にもつながるため、言論の自由がなかった昔は未来を語りにくかった。
幕末の志士たちは、「夢」に託して、未来を漢詩に詠んだ。

夢覺而得一絶
武市半平太
夢上洛陽謀故人
終衝巨奸氣逾振
覺來浸汗恨無限
只聽隣鷄報早晨

八月十八日夜夢攻諳厄利亞  
藤田東湖
絶海連檣十萬兵,
雄心落落壓胡城。
三更夢覺幽窗下,
唯有秋聲似雨聲。

磯原客舍
吉田松陰
海楼把酒対長風    海楼酒を把って長風に対す
顔紅耳熱酔眠濃    顔紅に耳熱して酔眠濃かなり
忽見雲濤万里外    忽ち見る雲濤万里の外
巨鼇蔽海来艨艟    巨鼇海を蔽うて艨艟来る
我提吾軍来陣此    我吾が軍を提げ来りて此に陣す
貔貅百万髪上衝    貔貅百万髪上り衝く
夢断酒解灯亦滅    夢断え酒解けて灯亦滅す
濤声撼枕夜鼕鼕    濤声枕を撼がして夜鼕鼕

【近代】
 「未来は現代よりもよくなる」という進化論的な考え方が、西洋から伝わる。
 福沢諭吉の『学問のすゝめ』や、明治大学の校歌の「夢」は、「現実の役には立たない、夢物語」という否定的なニュアンス。
 渋沢栄一の「夢七訓」は、明確に「明るい未来に対する希望に満ちたヴィジョン」の意味で「夢」という単語を使う。

      夢七訓
                 渋沢栄一
   夢なき者は理想なし。
   理想なき者は信念なし。
   信念なき者は計画なし。
   計画なき者は実行なし。
   実行なき者は成果なし。
   成果なき者は幸福なし。
   ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。

以上