中国語の授業では“因材施教”(yīn cái shī jiào)が大事。「学習者の資質に応じ教える方法や内容を適宜変える」というコンセプトを指す。仏教用語の「対機説法」と同系の考えである。
例えば中国語文法の「中国語の動詞には現在形も過去形も過去分詞もない。過去も現在のように語る」という性質について、生徒が若ければ「ドラえもんのタイムマシン」とか「SF映画『インターステラー』(2014年)に出てくる4次元超立方体の空間」の比喩を使うと、わかりやすい。
もし生徒が仏教に詳しければ、漢訳仏典(漢文も中国語の一種)の「道場観」の発想を引用して「中国語の動詞の『時制』のコンセプトは『道場観』である」云々と説明すると、すぐ理解してくれる。
例えば、鳩摩羅什訳『法華経』の
「当知是処即是道場。
諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、
諸仏於此転于法輪、
諸仏於此而般涅槃。」
諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、
諸仏於此転于法輪、
諸仏於此而般涅槃。」
について、漢文(中国語の一種)と、原文である梵文(サンスクリット)を比較すると、漢文法の奥深さに、あらためてうならされる。
昔の日本人の漢文訓読では
「阿耨多羅三藐三菩提を得(え)、
(略)法輪を転じ、
(略) 般涅槃す」
と読み下す。
「阿耨多羅三藐三菩提を得(え)、
(略)法輪を転じ、
(略) 般涅槃す」
と読み下す。
日本の古文の助動詞「つ、ぬ、たり、り、完了」「き、けり、けん、過去」のうち、「たり」「り」以外は漢文訓読では使わない。漢語の動詞の「過去も現在のように語る」「過去と恒常的真理の両方を同じ語形で表せる」という含蓄を、漢文訓読では生かしているのだ。
漢訳『法華経』の動詞「得」「転」「般涅槃」は、「得た」「転じた」「般涅槃に入った」という過去の出来事としても、「得る」「転じる」「般涅槃に入る」という恒常的真理(過去・現在・未来を通じて成り立つ事実)としても解釈できる。
漢訳仏典の動詞
「得(阿耨多羅三藐三菩提)」
「転(于法輪)」
「般涅槃」
に該当するサンスクリット原文の動詞を見ると、それぞれ
“abhisambuddhāḥ”
“pravartitaṃ”
“parinirvṛtāḥ”
と過去受動分詞(PPP)になっている。単純な過去時制ではない。
(サンスクリット原文については、植木雅俊 訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経 (下)』(岩波書店、2008/03/11、ISBN 9784000247634) p.394を参照しました)
「得(阿耨多羅三藐三菩提)」
「転(于法輪)」
「般涅槃」
に該当するサンスクリット原文の動詞を見ると、それぞれ
“abhisambuddhāḥ”
“pravartitaṃ”
“parinirvṛtāḥ”
と過去受動分詞(PPP)になっている。単純な過去時制ではない。
(サンスクリット原文については、植木雅俊 訳『梵漢和対照・現代語訳 法華経 (下)』(岩波書店、2008/03/11、ISBN 9784000247634) p.394を参照しました)
サンスクリット原文では、過去受動分詞(PPP)の持つ「完了結果の持続」という文法的ニュアンスを使うことで、単なる「過去の出来事の叙述」にとどまらず、 その結果が現在にも存続する恒常的・普遍的事実であることを表しているのである。
文章で説明すると難しいが、要するに、梵語(サンスクリット)ではPPPを使うという、やや特殊な文法的オペレーションを使うことで、「道場観」の思想を記述している。
驚くべきことに、漢語の文法(中国語文法、および漢文法)では、これを「得」「転」「般涅槃」というごく普通の言い方で実現している。
昔の日本人が、漢訳仏典をあえて日本語訳せず、鳩摩羅什訳とか玄奘訳とか、漢訳仏典の字音直読にこだわった理由の一つは、こういうところにあるのだろう。
残念ながら、現代の英語訳や日本語訳を見ると、「諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此転于法輪、諸仏於此而般涅槃。」を、仏たちが「得た」「転じた」「完全な涅槃に入った」と過去形的に訳している。そう訳さざるを得ないのだ。
「道場観」について説いたサンスクリット(梵語)の原文、鳩摩羅什の漢訳、およびその漢文訓読では、すなおに「過去の事実と恒常的真理の二重写し」を味わえる。
説明が長くなった。要するに、中国語の動詞に「過去形と現在形の区別がない」のは、中国語が原始的な言葉であることを意味しない。むしろ、中国語の動詞は「時制」を超えた「道場観」的な「過去の事実と恒常的真理の二重写し」をデフォとしている。中国では三歳の子どもすら世界をそうとらえるのである。
以上は、“因材施教”による中国語文法の説明の一例である。
この説明は、「仏教混淆サンスクリット」や「仏教漢文」の知識をもつ中国語初心者に対して有効である。
ただ、残念ながら・・・・・・そんな生徒は「盲亀浮木」。めったにいません!!
(^ ^;;
この説明は、「仏教混淆サンスクリット」や「仏教漢文」の知識をもつ中国語初心者に対して有効である。
ただ、残念ながら・・・・・・そんな生徒は「盲亀浮木」。めったにいません!!
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参考 https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/okyou-jinriki.html#note-s
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