自分の備忘用
中国の作家・老舎が、自作の小説の中で、中国文明の本質は「野蛮的文明」「文明的野蛮」であると、ブラックユーモアをこめて自虐的に「自己批判」したくだりの中国語原文と、その日本語訳を、備忘用にここに載せておく。
たしかに京劇の音楽は、独特の音楽理論に裏打ちされた高度なテクニックと、耳の鼓膜を直撃する野蛮なほどのやかましさが同居している。
かつて倉石武四郎は、自著『漢字の運命』(岩波新書、1952年)の中で老舎のこの見解を援用し、中国語や中国文化の悲劇的な本質はこれであると論じた。
私・加藤徹は、倉石の孫弟子にあたるものの、自著『京劇』(中公叢書/ちくま学芸文庫)の中で、京劇的なものを中国の後進性の象徴と見なす倉石らの見解を批判的に紹介した。
以下、
https://zh.wikisource.org/zh-hans/趙子曰/第二十
よりコピペ。倉石が引用した箇所の、前後の部分も含めて長めに転載する。コピペ開始
三
中国の作家・老舎が、自作の小説の中で、中国文明の本質は「野蛮的文明」「文明的野蛮」であると、ブラックユーモアをこめて自虐的に「自己批判」したくだりの中国語原文と、その日本語訳を、備忘用にここに載せておく。
たしかに京劇の音楽は、独特の音楽理論に裏打ちされた高度なテクニックと、耳の鼓膜を直撃する野蛮なほどのやかましさが同居している。
かつて倉石武四郎は、自著『漢字の運命』(岩波新書、1952年)の中で老舎のこの見解を援用し、中国語や中国文化の悲劇的な本質はこれであると論じた。
私・加藤徹は、倉石の孫弟子にあたるものの、自著『京劇』(中公叢書/ちくま学芸文庫)の中で、京劇的なものを中国の後進性の象徴と見なす倉石らの見解を批判的に紹介した。
以下、
https://zh.wikisource.org/zh-hans/趙子曰/第二十
よりコピペ。倉石が引用した箇所の、前後の部分も含めて長めに転載する。コピペ開始
三
青云阁商场所卖的国货,除了竹板包锡的小刀小枪,和血丝糊拉的鬼脸儿,要算茶楼中的“坐打二簧”为最纯粹。这种逍遣,非是地道中国人决不会欣赏其中的滋味。所谓地道中国人者是:第一,要有个能容三壶龙井茶,十碟五香瓜子的胃;第二,要有一对铁作的耳膜。有了这两件,然后才能在卧椅上一躺,大锣正在耳底下当当的敲着“四起头”,锁呐狼嚎鬼叫的吹着“急急风”。这种锣鼓喧天的音乐,世界上只有野蛮民族和文明的中国人能够欣赏。所以中国的文明是世界上独一无二的保存着野蛮况态的文明。野蛮人爱听大锣大鼓大喇叭,中国人也爱听大锣大鼓大喇叭;野蛮人崇拜王八、狐狸、兔子,中国人到如今也还崇拜王八、狐狸、兔子。可是野蛮人听锣鼓不懂得什么叫“板眼起落”,中国人懂得;野蛮人信王八、狐狸,可是不如中国人的于信王八、狐狸之外还信孔夫子和骑赤兔马的关老爷。如此看来:中国文明是真正古老独门制造的文明,是把古代野蛮况态还保存着的文明。这种特别文明也可以叫作“文明的野蛮”,也可以叫作“野蛮的文明”。无论叫什么吧,反正中国人长着文明脑子会欣赏野蛮音乐。
有些洋人信口乱道,把一切污浊的气味叫作“中国味儿”,管一切乱七八糟不干净的食品叫“中国杂碎”。其实这群洋人要细心检查检查中国人的身体构造,他们当时就得哑然自笑而钦佩中国人的身体构造是世界上最进化的,最完美的。因为中国人长着铁鼻子,天然的闻不见臭味;中国人长着铜胃,莫说干炸丸子,埋了一百二十多年的老松花蛋,就是肉片炒石头子也到胃里就化。同样,为叫洋人明白中国音乐与歌唱,最好把他们放在青云阁茶楼上;设若他们命不该绝,一时不致震死,他们至少也可以锻炼出一双铁耳朵来。他们有了铁耳朵之后,敢保他们不再说这大锣大鼓是野蛮音乐,而反恨他们以前的耳朵长的不对。
コピペ終了
以下、AIによる自動翻訳
コピペ終了
以下、AIによる自動翻訳
(老舎『趙子曰』第二十章三より)
青雲閣(せいうんかく)の商店街で売られている国産品のうち、竹の板に錫(すず)の箔を貼った小さな刀や槍、そして(お化け屋敷の)血みどろの鬼のお面を除けば、茶楼(喫茶店)で行われている「座打二簧(ざだにこう:座ったまま演じる京劇の弾き語り)」こそが、最も純粋なものと言えるだろう。この気晴らしは、生粋の中国人(ディード・ヂョングォレン)でなければ、その本当の味わいを鑑賞することなど到底できない。
青雲閣(せいうんかく)の商店街で売られている国産品のうち、竹の板に錫(すず)の箔を貼った小さな刀や槍、そして(お化け屋敷の)血みどろの鬼のお面を除けば、茶楼(喫茶店)で行われている「座打二簧(ざだにこう:座ったまま演じる京劇の弾き語り)」こそが、最も純粋なものと言えるだろう。この気晴らしは、生粋の中国人(ディード・ヂョングォレン)でなければ、その本当の味わいを鑑賞することなど到底できない。
いわゆる生粋の中国人とは、以下の条件を備えた者のことである。
第一に、龍井茶(ロンジンちゃ)を茶壺に3杯、五香(ウーシャン)風味のスイカの種を10皿分も収められる胃袋を持っていること。
第二に、鉄でできた鼓膜を持っていること。
この2つを持ち合わせて初めて、寝椅子の上に寝そべり、耳のすぐ下で大きな鑼(どら)が「当当(タインタイン)」と「四起頭(しきとう:京劇の伴奏のリズム音楽)」を打ち鳴らし、チャルメラが狼の遠吠えや鬼の叫び声のように「急急風(きゅうきゅうふう:同上。緊迫した場面の伴奏)」を吹き上げる中で、ゆったりと過ごせるのである。
第一に、龍井茶(ロンジンちゃ)を茶壺に3杯、五香(ウーシャン)風味のスイカの種を10皿分も収められる胃袋を持っていること。
第二に、鉄でできた鼓膜を持っていること。
この2つを持ち合わせて初めて、寝椅子の上に寝そべり、耳のすぐ下で大きな鑼(どら)が「当当(タインタイン)」と「四起頭(しきとう:京劇の伴奏のリズム音楽)」を打ち鳴らし、チャルメラが狼の遠吠えや鬼の叫び声のように「急急風(きゅうきゅうふう:同上。緊迫した場面の伴奏)」を吹き上げる中で、ゆったりと過ごせるのである。
この、(京劇の)鑼鼓が天にまで響き渡るような音楽は、世界中で野蛮な民族と、文明的な中国人だけが鑑賞できるものだ。ゆえに、中国の文明とは、世界で唯一無二の「野蛮な状態を保存し続けている文明」なのである。野蛮人は大きな鑼、大きな太鼓、大きなラッパを聴くのが大好きだが、中国人も大きな鑼、大きな太鼓、大きなラッパを聴くのが大好きだ。野蛮人はスッポン(王八)やキツネやウサギを崇拝するが、中国人も未だにスッポンやキツネやウサギを崇拝している。
しかし、野蛮人は鑼や太鼓を聴いても「板眼(リズムや拍子)の良し悪し」など分かりもしないが、中国人はそれが分かる。野蛮人はスッポンやキツネを信じるが、中国人はスッポンやキツネを信じるだけでなく、そのほかに孔子(孔夫子)や、赤兎馬(せきとば)にまたがる関羽(関老爷)まで信じている点において、野蛮人の及ぶところではない。
こうして見ると、中国の文明というものは、真に古く、独自の製法によって作られた文明であり、古代の野蛮な状態をいまだに保存している文明なのだ。この特別な文明は、「文明的野蛮」と呼ぶこともできれば、「野蛮的文明」と呼ぶこともできる。何と呼ぼうとも、要するに中国人は文明的な頭脳を持ちながら、野蛮な音楽を鑑賞できるということだ。
一部の西洋人(洋人)は口から出まかせに、あらゆる不潔な臭いを「中国の味(チャイナ・フレーバー)」と呼び、あらゆる雑多で不衛生な食べ物を「チャプスイ(中国雑砕)」と呼んでいる。しかし、もしこの西洋人どもが中国人の身体構造を細かく検査したなら、彼らはその場であきれて自嘲し、中国人の身体構造こそが世界で最も進化し、最も完璧なものであると感嘆せざるを得ないだろう。
なぜなら、中国人は鉄の鼻を持っており、生まれつきドブの臭いなど感じないからだ。中国人は銅の胃袋を持っており、肉団子の素揚げ(干炸丸子)はもちろんのこと、120年以上も土に埋められていたような古いピータン(松花蛋)であろうと、肉片と石ころの炒め物であろうと、胃に入ればたちまち消化してしまう。
同様に、西洋人に中国の音楽と歌唱を理解させるためには、彼らを青雲閣の茶楼に放り込んでおくのが一番良い。もし彼らの寿命がまだ尽きておらず、ひとまずショック死(震死)せずに済んだなら、彼らは少なくとも一対の「鉄の耳」を鍛え上げることができるだろう。鉄の耳を手に入れた後であれば、彼らは二度とこの大鑼や大太鼓を野蛮な音楽だとは言わなくなるはずだし、むしろ、それまで自分の耳がまともな形で付いていなかったことを悔やむに違いない。
(以上、翻訳終わり)
(以上、翻訳終わり)
現代中国を代表する作家・老舎(1899年〜1966年) の著作権は、中国の法律では没後50年にあたる2016年末(2016年12月31日)で満了している。
現在の日本では保護期間は原則「死後70年」であるが、老舎が亡くなった1966年は旧著作権法が適用されるため、日本における著作権も2016年をもってすでに消滅している。現在はパブリックドメインとなっており、自由に翻訳や出版が可能である。
現在の日本では保護期間は原則「死後70年」であるが、老舎が亡くなった1966年は旧著作権法が適用されるため、日本における著作権も2016年をもってすでに消滅している。現在はパブリックドメインとなっており、自由に翻訳や出版が可能である。
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