ゆうべ、というか、今朝というか──鮮明な悪夢を見た。

 夢のなかで、自分は高校生だった。実際に卒業した高校とは、まったく違う高校。でも夢のなかでは、それが自分の高校だと素直に信じていた。
 なぜか夢のなかで、自分は殺人を犯した。動機も、手段も、目が覚めたあと忘れた。覚えているのは、殺した相手が、若い男だったこと。現実世界では、まったく会ったことのない男であった。

 自分は死体を、山林の土のなかに埋めた。そして、びくびくしながら、高校に登校し、体育会系の部活をしていた。実際の自分は、高校時代も今も、運動はまったくだめで、体育会系の部活などはしていない。でも夢のなかでは、なぜか体育会系で、しかもそれが夢だとは気づかなかった。

 やがて、高校内で「最近、あいつの姿を見かけない」という噂がたった。「あいつ」とは、自分が殺した男のことである。その男は、高校の教師だったのか、先輩だったのか、それは目が覚めたあと忘れたが、とにかく高校の関係者であった。自分は、ドキリとし、心臓の動悸が速くなった。

 そのうち、高校の先輩たちから「おまえは何か知ってるな」と言われた。自分は、口の中にわきでる苦いつばきをのみこんで、黙っていた。

 とうとう、高校に二人の刑事がきた。刑事は自分に「真相はわかってる。そのうち証拠をつかんでやる」と言った。自分は黙っていた。刑事は帰っていった。

 自分は、高校をやめる覚悟を決めた。ひとり木造の列車に乗って、北のほうへ旅に出た。・・・・・・

 そこで目が覚めた。外は朝である。
 汗をびっしょりかいていた。
 電気毛布の温度を、高くしすぎたらしい。
 まるで安部公房の小説のような夢だった。

 上記の記述は、私が見た夢の、ありのままである。
 もちろん、細かい点は、実際に見ていた夢と違っているかもしれない。しかし、脚色はほどこしていない。
 よく、「夢のようにはかない」と言う。しかし、夢をみている最中は、自分が夢の世界にいることがわからない。あらゆる感覚は生々しく、リアルである。
 むしろ、現実に目が覚めているあいだに体験する出来事のなかに、かえってリアルさを感じられないことも、最近は多い。

 若いころは、よく、宙を飛ぶ夢を見た。
 ウルトラマンのように空を飛ぶのではない。はじめは地上を駆け、その姿勢のまま地上10センチから数十センチの高さを、すべるように、すーっと飛ぶ。そのていどの、ささやかな空中浮遊である。
 三十代のころまでは、よく、そんな夢を見た。そのたびに、目が覚めたあと苦笑した。どうせ夢のなかで飛ぶなら、大空を鳥のように飛びたかった。地上数十センチとは。現実世界の自分の体重の重さが、夢にも影響しているのか。それとも、自分は高所恐怖症なのか。
 しかし近年は、そんなささやかな空中浮遊の夢さえ、ほとんど見なくなった。

 遠藤周作のエッセイに、幽霊を見た話がある。三浦朱門といっしょに泊まった熱海の小さな旅館で、その旅館で自殺した男の幽霊を見た、という実体験談である。
 私はまだ、幽霊を見たことはない。でも、そのうち、夢のなかで幽霊を見そうな気がする。
 いや、もう見ているのかもしれない。

 今夜は、どんな夢を見るだろうか。
 願わくば、明日の朝、夢から目が覚めることを祈る。