今日、大修館書店から月刊『言語』4月号が届いた。
この号の「巻頭エッセイ」に、「漢文と手話の類似性」というエッセイを書いた。
漢文と、日本語の手話は、意外と似ている。

世の中には、意外に似てるものがある。
柳葉敏郎と高橋悦史は、似てる。
ついでに、ジャン・レノと田中邦衛も似てる、と思う。
ピグモンとガラモンは、似てる。
四国とオーストラリアも、形が似てる。

 互いに似てるものには、三つの可能性がある。
一、偶然の類似。つまり、他人のそら似。
二、血縁関係による類似。
三、収斂進化による類似。

 収斂進化とは、同じ「ニッチ(生態学的位置)」に生きる生き物は、祖先が違っても、次第に似たような形に進化する、という自然界の法則のことを言う。

 四国とオーストラリアが似てるのは、たぶん、偶然の一致であろう。

 生物界には、同一のニッチを二種類の動物が占めることはできない、という法則がある。例えば、現在の地球上には、われわれホモ・サピエンス以外のヒトは存在しない。いたら面白いと思うが、実際にはいない。
 同様の法則は、芸能界にも存在する。かつてノムラサチヨ女史が占めていたニッチが、いわゆるサッチー事件で空白になったあと、代わってホソキカズコ女史が登場して埋めた。かつて中岡俊哉氏が占めていたニッチは、宜保愛子氏が継承し、いまは江原啓之氏が独占している。
 柳葉敏郎と高橋悦史が似てるのは、同様の法則が働いた結果である。もともと芸能界には、高橋悦史のようなタイプの顔のタレントに対する潜在的需要が、いつの時代にもある。高橋氏が生きていたころは、高橋氏がそのニッチを占めていた。そしてその後、より若い柳葉氏がそのニッチを埋めるようになったのである。
 なお、いま「モーニング娘。」が占めているニッチは、昔は、「おにゃんこ倶楽部」が占めていた。

 さて、私・加藤徹が、この日本社会において占めているニッチは、どうであろうか。
 そして、あなたが今占めているニッチには、かつて誰がいて、そして次に誰が来そうですか?

 月刊『言語』に書いた巻頭エッセイの趣旨も、漢文と、日本語の手話に意外な類似性があるのは、偶然ではなく、「収斂進化」と「ニッチ」の類似性が原因である、という、いかにも言語学の門外漢が思いつきそうな妄想を書いたものである。
 でも、本当にそうなのかなあ?
 妄想の旅は続く・・・