学生時代、総武線で、千葉の自宅と東京の学校のあいだを行き来していたころ。
 満員電車のなかで、ときどき変な人を何人も見かけた。
 その中でも、立て続けに見た中年の女と男は、今も印象に残っている。
 たぶん、二十数年前のことだと思う。

 ある夜、ぼろぼろの中年の婦人は、手におにぎりを握りしめ、総武線の電車の座席にすわって群衆にむかって演説していた。

「わたしは人生の成功者よ。
 おにぎりだって、昔は、こんな大きいのは食べられなかったんだから」

 演説は、延々と続いた。
 もちろん、私も含め、満員電車の中の誰もが、その婦人のほうを見ぬようにした。

 また別のある夜、地方から出てきたとおぼしき中年の労働者風の男性が、総武線の床にすわって演説していた。

「東京はだらしねえぞお。
 話にならんぞお。
 このていどの雪で、交通が麻痺するとは、ちゃんちゃらおかしいぞお。
 笑っちゃうぞお。
 うちの田舎じゃ、このていどの雪、全然たいしたことねえぞお」

 このときも電車内の群衆は、私も含めて、見てみぬふりした。
 床のおじさんから遠く離れたところで、大学生ふうの二人づれが小声で笑いながら「そうだ、そうだ、いいぞおっさん」と呟いていたのを、私は見た。
 その声は、床のおじさんには届いていなかった。
 大学生二人は、そもそも床のおじさんには聞こえぬよう、小声でささやいていたのだ。
 かかわりあいになるのが、嫌だったのだろう。

 学生だった私は、ひょっとして自分も将来、こんな大人になるのかなあ、と、未来に対する漠然とした不安を感じたことを覚えている。

 その後、幸いにして、私は定職を得ることができた。
 そして今のところ、電車のなかで、誰もふりむいてくれない群衆にむかって、演説をしたことはない。

 そう、電車のなかでは。・・・

 最近、ふと気づいてしまったのだが、──
 このブログを私が書いてる内容は、結局、かつて電車の中で目撃したおにぎりおばさんや、床座りおじさんの演説と、大差ないのではないか!!

 いや、違いはある。
 あのおばさんやおじさんの前には、確かに、姿の見える人間の群衆がいた。
 しかし私は、人間の姿の見えぬ電脳空間に向かって、言葉を一方的に投げつける。
 私のほうが、もっと変だ。

 ということで、今後このブログでは、私の、私による、私のための「演説」を今後も続けてゆく所存であります。
 ご静聴ありがとうございました。
 続きは、あなたの今夜の夢の中で。