昨年まで広島市に住んでいた。
 夕方になると、蝙蝠(こうもり)がよく飛んでいた。
 私が1993年春、最初に広島市に引っ越したとき、印象深かったのは、市の中心部でも蝙蝠がよく飛んでいたことであった。
 さすがは海と山に近い豊かな自然の地方都市だ、と、感動したのを覚えている。

 拙著『怪力乱神』
http://www.geocities.jp/cato1963/book-kairiki.html
でも書いたが、西洋でこそ蝙蝠は吸血鬼ドラキュラの手先であるが、中国では蝙蝠は幸福をもたらす良いイメージの動物である。
 日本人は「食べてすぐ横になると牛になる」と言う。
 中国人は「料理に塩をかけすぎると、蝙蝠になっちゃうよ」と言う。
 なぜ塩をかけると、蝙蝠に変身してしまうのか? その理由(もちろん事実誤認だが)は面白いのだが、すでに本に書いたことなので、ここでは省略する。

 今日、久しぶりに蝙蝠の群飛を見た。
 夕方、明治大学和泉校舎(京王線の明大前)から、自転車をこいで、中野の拙宅まで帰った。
 時間に余裕があったので、ほんの少し回り道をして、神田川添いの細道を自転車で走った。
 すると神田川の流れの上に、蝙蝠がたくさん飛んでいた。

 中野区では、少なくとも拙宅の周辺では、蝙蝠は見ない。
 東京の二十三区内にも、これほど蝙蝠がいるのか、と、ちょっと感動した。
 さすがは杉並区である。

 杉並区は、けっこう緑が豊かだ。
 小学校低学年のころ夢中になって読んだポプラ社の「怪人二十面相」ものの小説では、二十面相の隠れ家は、たいてい、東京都内の鬱蒼とした森の中の洋館であった。
 その場所は、たしか、杉並区とか世田谷区とかが多かったように思う。
 たぶん中野区ではなかった。
 戦前から住宅が密集していたわが中野区には、怪人は多数住んでいるかもしれないが、怪人二十面相の隠れ家が存在する余地は、昔から無かったのかもしれない。

 中野区も変わってるが、杉並区も相当ユニークである。

 第二次世界大戦の末期、杉並区の久我山に、当時の世界でも最大級の「15センチ高射砲」が2門、設置された。
 昭和20年8月1日、上空を飛ぶB29の編隊にむけて発射したところ、たった一発の砲弾で2機も撃墜した、という戦績を残している。
 以後、終戦までB29は杉並区を避けて飛んだと言われる。
 これほど高性能の高射砲が、なぜ、都心からはずれた杉並区に設置されたのか?
 中島飛行機の工場を守るためだった、という説もある。
 しかし、中には、杉並区には高級軍人の家がたくさんあったため、彼らの自宅を守るために、世界一の高射砲を2門も備え付けたのだ、と推測する向きもある。
 真相はともあれ、杉並区には、今も帝国陸海軍の軍人の子孫が多く住んでいることは、たしかである。
 それとどう関係するかはよくわからないが、──
 杉並区は、全国でも珍しいことに「住基ネット」に参加していない。
 さらに全国でも珍しいことに、杉並区は「新しい歴史教科書を作る会」の教科書を採択している。
 自転車で中野区から杉並区に入ると、町のポスターや、家屋の様子がとたんに変わる──ということはないけれども、外国人の人口が多い中野区とは、杉並区の雰囲気は明らかに違う。

 明治大学和泉校舎は杉並区の端にある。
 私の勤務先のすぐ先は、世田谷区である。
 この世田谷区が、また変わった区なのだが、きりがないので今夜のところはここまで。

 妄想の自転車プチ旅行は続く。