今朝──いや、もう昨日の朝、と言うべきだが──の『中日新聞』と『東京新聞』に、拙著『怪力乱神』の書評が載った。


[評者]瀬川千秋氏(翻訳家)
■古代の怪異・荒唐な空想力
 著者の、古代から眺める中国人論や中国文化論はいつも掛け値なしに面白い。前著『貝と羊の中国人』では、・・・(以下略。全文をお読みになりたいかたは、中日/東京新聞のHPの中の
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2007090203.html
をどうぞ)

 褒められすぎのようだが、ありがたいことである。

 拙著を取り上げてくださった瀬川さんに、感謝申し上げます。

 拙著『怪力乱神』の第三章でも引用したが、中島敦は『山月記』のなかで、虎に変身してしまった主人公の口吻に托してこう書いている。

   一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだつたんだらう。初めはそれを
  憶えてゐたが、次第に忘れて了ひ、初めから今の形のものだつたと思ひ込んで
  ゐるのではないか?

 加藤徹も、もとは、ずっと昔は、何か他のものだったんだろう。
 もちろん、あなたも。

 アニメーション監督の富野由悠季氏も、Wikipediaによると、若手に対して次のように語ったという。

   45歳までは君たちも挽回できる。人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が
  見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ!

 別に富野氏の教えを奉じたわけではないのだが、筆者は拙著『怪力乱神』の原稿を書いていたとき、自分が子供のころ聞いていたテレビのアニメ・ソングや特撮番組の主題歌のCDを、ずっと繰り返して聴いた。
 『怪力乱神』は、セカイは実は怖いモノである、という内容の本だ。
 中年の筆者は、アニメソングのCDを聞きながら、童心に帰ろうとした。
 中島敦の言う「何か他のもの」であった頃の感受性を、取り戻そうとした。
 小学校の低学年のころまで、セカイは、実にこわかった。
 トイレの便器にすわるのは、こわかった。
 目をつむって寝るのも、死ぬみたいで、こわかった。
 七十年代前半のテレビの子供番組は、登場人物の子供たちが白骨化して死ぬ「ゲゲゲの鬼太郎」とか、善良なメイツ星人が日本人の民衆によって惨殺される「帰ってきたウルトラマン」とか、やたら救いのない番組が多く、子供心ながらこんな番組を作って子供に見せる大人の屈折した気持ちが、こわかった。
 でも、「若かったあのころ」本当は「何もこわくなかった」。
 ただ「あなたのやさしさが、こわかった」。

 アニメソングのCDに吹き込まれた、西六郷少年合唱団や、上高田少年合唱団、ヤング・フレッシュ、コロムビアゆりかご会、杉並児童合唱団など、児童合唱の声を聴きつつ、私もいつしか童心に帰っていた。
 知識や技術は44歳の加藤徹、感性は9歳以前のかとうとおる、で、執筆をした。
 童心に帰ることができた。
 その結果、思い出したこと。

 子供のころの自分は、たいそう純心だった。
 純粋に人を憎み、呪い、そねみ、残酷な空想を楽しんでいた。
 純粋に、怪獣やウルトラマンの手足がもぎとれるシーンを楽しんでいた。
 純粋に力がほしかった。自分の同級生や、周囲の大人たちをひれ伏させるような、魔法の力や超能力がほしかった。
 純粋に部下がほしかった。使い捨てにできる三つのカプセル怪獣や、「行くぞ三匹ついてこい」(怪物くん)、「三つのしもべに命令だ」(バビル二世)、というように、思い通りにあやつれる三つのベムがほしかった。
 そう、子供の心は、実は残虐だったのだ!

 というわけで、今度の拙著は、今までにない異様なテイストの本になってしまった。
 でも、それでよかったのかもしれない。

 44歳のいま、四十年近くも前のアニメソングを聞き返すと、いろいろ面白い発見があったのだが、それについてはまた機会を改めて書くことにしよう。
 

拙著『怪力乱神』のweb page
http://www.geocities.jp/cato1963/book-kairiki.html