気がついたら、三ヶ月ぶりの投稿である。
 新年あけましておめでとうございます。

 「ビッグ・マイナー」「リトル・メジャー」という語がある。マンガ家や音楽家など、創作系の世界でよく使う。
 リトル・メジャーとは、そこそこ売れて知名度があり、たまにテレビや新聞、雑誌などでも名前を見る作家のことを言う。
 ビッグ・マイナーとは、その作品があまりにも個性的・天才的すぎて、コアなファンが多く、「その世界」では超有名な第一人者を言う。
 ビッグ・マイナーは、場合にもよるが、マンガの世界では、その作家に対する最上級の褒め言葉になる。
 マンガの世界でいえば、例えば手塚治虫とか藤子不二男は、ビッグでありメジャーである。
 いっぽう、吾妻ひでお氏とか諸星大二郎氏といった天才的マンガ家は「ビッグ・マイナー」である(褒め言葉ですよ。ファンのみなさん、怒らないでね)。
 マンガ家に限らず、どの業界でもそうだが、ごく一部のビッグでメジャーな有名人と、大多数のリトルでマイナーな無名人が集まって、一つの業界を作っている。
 マイナーな人が、メジャーの世界の入口をうろうろしているのが「リトル・メジャー」。
 一流の才能と実力がありながら、自分の好きなことをなしとげるため、あえてメジャーな世界にこだわらないのが「ビッグ・マイナー」、すなわち偉大なるマイナー。

 もっとも、リトル・メジャーと、ビッグ・マイナーを、逆の意味に使う人もいる。
 しょせんはサブカルチュアの用語。人によって、使い方は違ってもよい。

 歴史上でも、ビッグ・マイナー(褒め言葉)の人物は多い。最近、

『最後のサムライ 山岡鐵舟』教育評論社2007年9月

という評伝本を読んで認識をあらためたのだが、山岡鐵舟(以下、常用漢字で山岡「鉄」舟、と書く)という人物も、本質的には、日本史上屈指の「ビッグ・マイナー」だったのではあるまいか?

 こう書くと、日本史通から
「鉄舟のどこがマイナーなんだ!?」
とお叱りを受けそうである。たしかに、山岡鉄舟は歴史上の有名人である。剣・禅・書の達人である。明治天皇・西郷隆盛・勝海舟・清水の次郎長などビッグ・ネームとの交流がある。逸話や挿話も豊富である。
 だからこそ逆に、私は長いあいだ鉄舟を、日本史上の「リトル・メジャー」の一人だと誤解していた。武士道だの、日本人の品格だの、そういうことが大好きな人々に受けそうな人物だと、漠然とした偏見をもっていた。
 だが『最後のサムライ 山岡鐵舟』を読み、鉄舟に関する見方が百八十度変わった。
 とにかく、豪快な人物なのである。
 豪快すぎて、時代からズレまくっている(笑)。
 ところが、本人があまりに真面目で誤解なので、鉄舟の真実を知ればしるほど、逆に、ズレているのは時代のほうであった、という気がしてくる。
 女性関係についても、鉄舟は超真面目人間であった。彼は、男女の真理を探究するため、妻との関係が悪くないにもかかわらず、いろいろな女性と「遊び」のような関係をもってしまう。ズレている。ところが鉄舟は、あくまで真面目人間である。探究とは、浮気をするための口実ではない。彼は本気で、本当に、探究のために男女の関係を実践的に研究しつづけたのである。ズレている。そのため周囲も、鉄舟の「浮気」を浮気とは見なさなかった。「遊び」を遊びとは見なさなかった。うーん、同じ男としてちょっと羨ましいぞ、鉄舟!
 なお、上記のような挿話も書いてある『最後のサムライ 山岡鐵舟』という本は、いたって真面目で、良心的な本である(なにしろ出版元の名前も「教育評論社」である)。だから同書では、「ビッグ・マイナー」などというサブカルチャーの用語は出てこない。
 しかし私は、あえて「日本史上、屈指のビッグ・マイナー」という称号を、このブログで山岡鉄舟に進呈しよう。

 朝の五時。まだ外は暗い。
 妄想の旅は続く。──