玉田美郎陸軍中将(1891-1989)と、宮崎繁三郎陸軍中将(1892-1965)の名を知っている人は、昭和史の「通」と言えるだろう。

玉田氏は、「ノモンハン事件」のとき「玉田戦車連隊」を率い、豪雨のなかソ連軍陣地に夜襲を敢行した軍人である。世界戦史上、戦車による夜襲の成功例は珍しい。戦後、『ノモンハンの真相―戦車連隊長の手記』という本も書いた。

宮崎氏は、ノモンハン事件やインパール作戦などでもねばり強く善戦した軍人で、戦後の評価も高い。

さる土曜日、都内某所で、私は玉田氏と宮崎氏の息子に会った。

…と書くと取材のようだが、実は、勤務先の明治大学法学部の忘年会があった。

忘年会には、すでに退職した、過去の歴代の学部長の先生がた(の一部)も参加する慣例になっている。

今年の上座には、宮崎先生と玉田先生も並んですわっておられた。

両先生とも、定年退職されてから久しいが、現在もお元気である。

玉田戦車連隊長のご子息である玉田先生のご専門は「マンション法」である。
宮崎中将のご子息である宮崎先生のご専門は「国際人権」である。

お二人とも、お父様は世界的に有名な軍人だったが、お父様とはまったく違う道を歩み、明治大学法学部の教授となられ、それぞれ学部長まで経験された。

…で、私は、アルコールが入っていたことも手伝って、両先生にビールをつぎながら、

──ノモンハン事件について何かお父様から「秘話」をお聴きでないでしょうか。

と、ぶしつけな質問をした。

 ひょっとしたら、昭和史をくつがえす秘話が、今夜、明らかになるかも、という期待もあった。

 しかし、私にビールをつがれながら、両先生とも、
「うちは、父親と会話があまりない家庭だったから」
と苦笑された。

 酔いが醒めたあと、反省した。
 われながら、バカな質問をしたものだ(^^;;

 忘年会、ということで、忘れていただければいいのだが…