NHK出版新書・加藤徹著
『本当は危ない『論語』』
(p124-p127より引用)
孔子、七十年の「負け自慢」
司馬遷が記した孔子の最後の言葉は、『論語』にはない。その代わり『論語』為政第二には、孔子が自分の生涯を振り返った述懐を載せる。ある意味で、これが孔子の最後の言葉と言えるかもしれない。
子曰「吾十有五而志乎学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩」。
子曰く「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず」。
子曰く「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず」。
(中略)
この孔子の述懐を、聖人に至る精神修養の過程を凡人に説いたお説教の言葉として理解する人が多い。そのような読みかたを、貝塚茂樹は、
「万事控えめで、非常に反省心が強く、自己を誇らない孔子が、いつも苦難に満ち、試練にさらされて成長してきたその生涯を、無限の感慨をもってふりかえっての発想を、じゅうぶんにくみとっていない」
と批判する。ただ、孔子の謙虚さを強調する貝塚も、その訳文は従来のものと変わりばえがしない。
筆者も、この述懐は孔子の「勝ち自慢」ではなく、むしろ若い生徒たちに向かって語った「負け自慢」として読むほうが孔子らしいと思う。そのニュアンスを伝えるために意訳すると、こうなる。
「わしは、今でこそ先生などとたてまつられているが、十四までは学問が好きじゃなかった。二十九まで自立できなかった。三十九まで自信がなかった。四十九まで天命をわきまえなかった。五十九まで人の言うことを素直に聞けなかった。六十九まで、やりたいことをすると、やりすぎてしまった。まあ人生なんて、そんなものだよ」
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