昔の中国文学を研究していてめんどくさいと思うことの一つは、「異名同曲」や「同名異曲」の作品が多いことである。
例えば、日本の漢文の教科書でもよく出てくる王維の七言絶句のタイトルは「元二の安西に使いするを送る」「渭城曲」「陽関曲」「陽関三畳」など、さまざまである。本文は同一の
「渭城の朝雨 軽塵を潤し
客舎 青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人なからん」
客舎 青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人なからん」
なのだが。
現代の日本でも、似た現象がある。
ネットで検索すると「めぐる季節」「風の丘」「海の見える街」とタイトルこそバラバラだが、実はどれも久石譲作曲の同一の曲である。
私は、千数百年前の王維の漢詩が、何故、複数のタイトルをもつに至ったか、その理由は説明できる。
しかし、アニメ「魔女の宅急便」の同一のイメージソングが何故複数のタイトルをもつのか、その理由を知らない。
どこかに理由が書いてあるのだろうか?
なお、自分でこの曲を演奏するときは「めぐる季節」というタイトルを使うことにしている。
私が最初にこの曲を聴いたとき、「めぐる季節」というタイトルだったから。それだけの単純な理由である。
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