奇跡は、めったに起きない。
 しかし、たしかに奇跡はある。

 20世紀のニカラグア。長い内戦と政治的混乱のため、学校教育もままならなかった。まして、障害をもって生まれた子供たちへの教育は、行われなかった。
 生まれつき耳が聞こえぬ「ろう」の障害をもつ子供たちも、それぞれバラバラに、自分の家の中で、家族と身振り手振りで「飲む」「食べる」ていどの、カタコトていどの意思疎通ができるだけだった。
 1979年、ニカラグアの政情はようやく安定し、国内初の「ろう」学校が作られた。それまで、各自の家庭で、てんでばらばらの身振りをしていた子供たちが、学校に集められた。
 教師は、手話や文字を教えようとしたが、いずれも失敗した。なにしろ、内戦と政治的混乱が長く続き、健常児への学校教育すらままならなかったのである。耳の不自由な子供たちは、単語という概念すら知らなかった。
 教師たちがあきらめかけたとき、奇跡が起きた。
 言語、という概念を理解できない幼い子供たちも、新しい友だちと「遊びたい」「話したい」「けんかしたい」「いっしょに笑いたい」「伝えたい」という、強い情動をもっていた。
 見知らぬ子供たちは、大人の手を全く借りず、自然発生的に、高度な手話言語を作り上げた。子供たちのあいだで自然発生的に生まれた手話には、名詞、動詞、形容詞、文法のすべてがそろっていた。お笑いや甘え、皮肉、あらゆる感情の細かいひだを、手話だけで生き生きと示すことができた。
 言語学者たちは驚嘆した。
「ろう児たちは文法的にし規則化するのです――どこから学ぶこともなしに」
「どんな言語学者も、ひとりの4歳児が誕生せしめた言語の、半分ほどの複雑さや豊富さをもった言語さえも創造することができない」
「歴史上はじめて、学者たちが言語の誕生を目撃している」
「それは言語学者の夢だった。それはまるでビッグバンに直面しているようだった」

 恥ずかしながら、筆者はとある大学で、ある外国語を教えている。
 教えている私も、学ぶ学生も、ときどき外国語の勉強にあきることがある。
 正直、授業が面倒くさくなることもある。
 そんな時、ニカラグア手話の奇跡を、思い出すようにしている。
 町の公園でヨチヨチ歩きの幼児を見かけると、ニコニコ笑いながら手足を動かして歩きまわり、口から絶えずバブバブと喃語を発している。赤ちゃんの時は自由に動けなかったのに、いまは行きたいところに行ける。出したい声が出せる。ヨチヨチ歩きの幼児は、嬉しくてしようがないのだ。
 ニカラグアの、手話を編み出した幼い子供たちも、同じだったのだろう。
 あなたと話したい、伝えたい、けんかしたい、笑いたい、泣きたい、遊びたい。そういう人間の本源的な情動があれば、言葉は生まれる。
 子供ばかりではない。いい年齢になって、外国の勉強をする人も、そんな「思い」さえあれば、相当なレベルまで行くのではないか。
 そういう「思い」がなければ、どんなに語学の才能があろうと、知能が高かろうと、言葉の勉強は重荷になるだけだ。
 今年度の授業も、残りあとわずかだが・・・・・・


言語的ビック・バン

ニカラグア手話にみる言語が生まれる瞬間  しんりの手 :psych NOTe

ニカラグア手話

wikipedia ニカラグア手話