月刊「新潮45」2013年10月号で、面白い記事を読んだ。
漫画家のちばてつや氏に対するインタビュー記事である。
漫画「あしたのジョー」のラストは、伝説的である。
主人公は試合後、リングサイドに座りこみ、目をつむって笑みをうかべ、がっくりとうなだれ、真っ白になる。
原作者の梶原一騎は、違うラストを考えていたのだが、作画担当のちば氏は原作のラストに納得できず、独自にあのラストを描いたのだった。
その後、愛読者のあいだで、論争が起きた。
主人公は、死んだのか、それとも、生きていたのか。
今回のインタビュー記事では、新たな事実がわかった。
――当時、「ジョーは死んだのか」という論争まで起こりました。ちばさんの中でも定まっていなかったのでしょうか。
ちば そういうことは全然考えていなかったですね。ただ自分の力を出し切って、持てるエネルギーのすべてを使い尽くして、真っ白に、抜け殻のようになっているという、そう考えながら描いたシーンですね。ある時たまたまテレビで見たのですが、上野正彦さんという監察医があの絵を見て、「生きているか死んでいるか」と訊かれて、「こういう微笑みや、肘で身体を支える姿勢は、死んでいたらできないから、この人は生きている」と断言してくれて、「ああ、そうだったのか。やっぱり生きているのか」とホッとした記憶があります。
なんと、ちば氏は、何も考えずにあのラストの絵を描いていたのだった!!
そして、プロの法医学者で死体の専門家である上野正彦氏が「生きている」と断言してくれたので、はじめて安心したのだという。
興味深いエピソードである。
筆者は、大学の文学部の出身である。
文芸作品は、作者による一次創作、ファンや評論家による二次創作、学者による「研究」という名の三次創作がある。
漫画も、一種の文芸作品である。
「ジョーは死んだのか。生きているのか」
この答えを、作者のちばてつや氏自身も、学者である上野氏の解説によって知った。
場合によっては、三次創作のほうが、一次創作よりも優先する。
なんとも深いエピソードだ。
筆者も、本業は大学の研究者である。
漫画だけでなく、文学研究の分野でも、学者の研究のほうが、オリジナルの作者の一次創作をしのぐ例は、いくつもある。
筆者自身も、いつか、そんな研究論文を一つくらいは書いてみたいものだ。
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