やなせたかし氏が亡くなった。
94歳。
肝臓がんだったそうだ。
つい二、三ヶ月前、糸井重里氏のインタビューで、以下のように語っている。
(以下、http://www.1101.com/yanase_takashi/2013-08-06.html より引用。引用開始)
やなせ 死ぬ前に会えてよかった。俺は間もなくね、死ぬんですよ。
糸井 毎日そうおっしゃってるんですって?
やなせ ええ!
糸井 いまは、じゃ、お仕事は?
やなせ
俺、目がほとんど見えないしね、耳も聞こえないしね、
あともうほとんど生きられないんで、仕事はしないって言ってるんだよね。
全部の役職を降りて引退しようとしてるんですけど、
「そうですか、わかりました。月末までに、じゃ、5枚描いてください」
って、全然聞いてないんだよ。
いったい何を聞いてるのか。
もう半分死にかけてるのにね、頼みに来るんだよね。
いくら言っても駄目なんだ。ですから、相変わらず仕事をしてるんですよ。
(引用終わり)
(以下、http://www.1101.com/yanase_takashi/2013-08-06.html より引用。引用開始)
やなせ 死ぬ前に会えてよかった。俺は間もなくね、死ぬんですよ。
糸井 毎日そうおっしゃってるんですって?
やなせ ええ!
糸井 いまは、じゃ、お仕事は?
やなせ
俺、目がほとんど見えないしね、耳も聞こえないしね、
あともうほとんど生きられないんで、仕事はしないって言ってるんだよね。
全部の役職を降りて引退しようとしてるんですけど、
「そうですか、わかりました。月末までに、じゃ、5枚描いてください」
って、全然聞いてないんだよ。
いったい何を聞いてるのか。
もう半分死にかけてるのにね、頼みに来るんだよね。
いくら言っても駄目なんだ。ですから、相変わらず仕事をしてるんですよ。
(引用終わり)
2011年3月11日の東日本大地震のときのことを聞かれたやなせ氏は、次のように答えている。
あの時はね、俺はどこにいたっけ?
ああ、家にいたんだな。
寝てたんだ。
ぼくはね、地震に対してすごく強い人なんですよ。
全然驚かないの。
南海大地震にも遭ってるしね、兵隊の時はドカンドカンと地響きがするなかにいた。
あの地震のときも、そのまま寝てたんですよ。
起きたら被害の大きさにびっくりしちゃって、引退しようと思っていたのを、撤回した。
そうして、東北の慰問を始めたんです。
あの時にですね、じつはですね、生前葬というのを計画してたんですよ。
ああ、家にいたんだな。
寝てたんだ。
ぼくはね、地震に対してすごく強い人なんですよ。
全然驚かないの。
南海大地震にも遭ってるしね、兵隊の時はドカンドカンと地響きがするなかにいた。
あの地震のときも、そのまま寝てたんですよ。
起きたら被害の大きさにびっくりしちゃって、引退しようと思っていたのを、撤回した。
そうして、東北の慰問を始めたんです。
あの時にですね、じつはですね、生前葬というのを計画してたんですよ。
(中略)
準備は完全にできてたんですよ。
こっちでほんとうに人が死んでるのに、生前葬なんてふざけたことはできないと、中止になったんです。
だから、ちょっとまた死ぬのが遅れたんだね。
死ぬ準備は全部してあるんですよ。
だから、ちょっとまた死ぬのが遅れたんだね。
死ぬ準備は全部してあるんですよ。
(引用終わり)
やなせ氏は、第二次世界大戦中、中国戦線の砲兵部隊にいた。
「ドカンドカンと地響き」云々は、そのあたりのことを述べられたのだろう。
やなせ氏の代表作「アンパンマン」は、中国でも有名だ。明治大学にいる中国人留学生も、みな知っているほどだ。
しかし、アンパンマンの作者が、中国戦線にいたことを知る留学生は、ほとんどいない。
私が授業でそのことを告げると、中国人の留学生はおおむね「へえ-」という反応をする。
戦場から生還したやなせたかし氏は、戦後、「正義」に対して独特の哲学をもつようになる。
「アンパンマン」にも、やなせ氏の哲学が反映している。
あの地震の被災地で、泣いていた子供たちは、アンパンマンのポスターを見ると、みな笑顔になったという。
「きっとアンパンマンが助けに来てくれる」「アンパンマンに会える」と思った子供も、多かったようだ。
そんな子供の笑顔を見て、救われた親や大人たちも多かった。
やなせたかし先生。
長いあいだ、お疲れ様でした。
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