西南戦争。
明治十年、1877年、日本人どうしが殺しあった最後の内戦である。
西郷隆盛と最後まで行動をともにした村田新八(1836年12月10日-1877年9月24日)は、シルクハットにフロックコートという格好で戦った。
彼は、外国で購入した「風琴」(ふうきん)を戦死する直前まで携えていたとされる。
伊藤潤氏の歴史小説『武士の碑』(ぶしのいしぶみ)では、村田新八は「コンサーティーナ」を弾いていた、とされている。・・・・・・
1990年のNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」第47話より
西南戦争の終盤、村田新八が弾く「風琴」に聞き入る西郷隆盛。

黒竜会編『西南記伝』 (黒竜会本部、明治42-44年) 下巻2「第十六篇 薩軍諸士伝 第四章 四番大隊将士伝」p.253に、
「時に村田新八、傍に在りて、之を賛し、風琴を把て、弾丸の響と調子を合せたりと云ふ」
トキにムラタシンパチ、カタワラにアりてコレをサンし、フウキンをトリてダンガンのヒビキとチョウシをアワせたりとイう。
とある。
村田新八は、戦場の銃声にあわせて平然と「風琴」を弾いた・・・というのは、話ができすぎていて、にわかには信じがたい。
でも、本当だったら、カッコいい(^^;;
ちなみに、司馬遼太郎の小説『飛ぶがごとく』や、1990年のNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』第47話(最終回の一回前)、その他の文芸作品でも、村田が西南戦争の戦場で「風琴」を弾くシーンは、名場面となっている。
さて、この「風琴」という楽器、実は正体がよくわからないんですね。
文字の小説だったら「風琴」のままでごまかせるけれど、映像作品となると、そうはゆかない。

NHKの大河ドラマでは、村田を演じた俳優は、夜のたき火の前で、ボタン式ダイアトニック・アコーディオンを弾いていた。
音色は明らかに、ピアノ鍵盤式ないしクロマチック・ボタン式のアコーディオンによる「吹き替え」でしたけれども(^^;;
でも、本当のところ、村田の「風琴」の正体は、よくわからない。
日本語の「風琴」は、オルガンを指す場合と、アコーディオンなど「手風琴」類を漠然と指す場合があった。
戦場で持ち運んだ、という記述から考えて、村田の「風琴」はオルガンではなく、「手風琴」の類であることは間違いない。
ただ「手風琴」と言っても、楽器のサイズや構造、鍵盤の配置、音色など、実は多種多様なのだ。
明治十年という時代と、戦場での傾向性を考えると、村田の「風琴」は、NHKの大河ドラマで俳優が弾く演技をしたボタン式ダイアトニック・アコーディオンか、あるいはひょっとすると、コンサーティーナだった可能性もゼロではない。
前述のとおり、伊藤潤氏の小説『武士の碑』では、「コンサーティーナ」とする。
単行本のカットは明らかにアングロ・コンサーティーナだが、小説の文中の描写では「八角形」のようでイングリッシュ・コンサーティーナっぽかったりするが、いずれにせよ、この小説では、コンサーティーナのせつない音色が、村田を含む武士の運命を暗示する重要な描写となっている。
もしも、史実の村田新八が弾いていた「風琴」(手風琴)が、本当にconcertina (コンサーティーナ)だったとしたら…
私はとても嬉しいです!
でも、真相はどうなのだろう?
村田新八の楽器について、詳しい情報をご存じのかた、ぜひ真相をお教えください(^^;;
【参考】 以下に、黒竜会編『西南記伝』 (黒竜会本部、明治42-44年) 下巻2「第十六篇 薩軍諸士伝 第四章 四番大隊将士伝」p.253の画像を貼り付けておきます。

2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」第44回と最終回(第47回)で、村田新八を演じた俳優の堀井新太さんは、イングリッシュ・コンサーティーナの弾き語りを見事に演じられました。すばらしいです!残念ながら、日本のテレビ番組ではいつものことですが、第44回と47回の第番組のクレジットでは「アコーディオン指導 浦松優子」と、この楽器が「アコーディオン」扱いされていました。しかし、最終回放送当夜に鹿児島で行われたパブリック・ビューイングで、堀井新太さんは「この楽器の正式名称は、イングリッシュ・コンサーティーナと言います」と紹介してくださったそうです!( ;∀;)
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