昔、日本に『アコーディオン・ジャーナル』という月刊誌があった。日本全国各地に購読者がいて、世界的にみても、これだけ長く続いたアコーディオン専門誌は珍しかった。
「編集部」は、アコーディオニストの金子万久(かねこ・ばんきゅう)先生で、雑誌を担当当時のお名前は本名である「金子元孝(かねこ・もとたか)」をお使いだった。今も御茶ノ水にある谷口楽器さんが発行していた。
インターネット時代になってから、このような紙媒体の専門誌はどんどん減っている。
しかし、数十年にわたる『アコーディオン・ジャーナル』のバックナンバーを見ると、やはり、紙の雑誌には、電子媒体にはない良さがあることを実感する。
例えば、1973年、昭和48年のバックナンバーを、ぱらぱらとめくってみる。当時、私はリアルタイムの読者ではなかったけれど、今、この雑誌をめくると、昭和の空気がそのまま保存されているのを感じて、なつかしい。
1973年2月号の記事「コンサーチナ <六角型手風琴> その種類と音の配列」
1973年6月号の記事「コンセルチーナ(ドイツ製)が近く入荷! このかわいらしい楽器をやってモテちゃおう!」
後者の6月号の記事の本文では「コンサーチナ」である。
昭和の日本ではまだ「コンサーティーナ」という表記が普及していなかったこと、「コンサーティーナはアイルランドの民族楽器である」という誤解も広まっていなかっことが、わかる。
で、昭和の日本では、コンサーティーナを弾くと、モテたのだろうか? 気になる。
1973年当時、小学生だった筆者は「コンサーチナ」という楽器の存在を、知らなかった。
そもそも、子供のころはあんまり楽器とか音楽とかが、好きじゃなかった。
アコーディオンやコンサーティーナという楽器を始めたのは、29歳のとき、広島大学に就職してからだった。
もし小学生のころからこの楽器を知っていたら、うまく弾けるようになってたかな?
(^^;;
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